駄文生産

長続きしますように

終わりよければ

 3年前に亡くなった父方の祖父は、戦争が終わるまで武家の子孫の3男としてゆったり生きる野田のお坊ちゃまだった。終戦時12歳だった祖父は、色々あって東京の下町で修行を積んで畳職人になり、房総の祖母と見合いをする頃には祖父の両親は他界。人生大変そう〜って感じではあるが、ユーモアを忘れないヤニ畳職人であった。

 

 私が野田の本家の墓を見たときは圧倒的大きさとコケの生え方に仰天したが、残っている資産は代々の墓しかない。ちなみに祖父は3男なのでその墓には入れない。祖母は国民学校卒(戦時中で義務教育がウヤムヤになったパターン)で両親ののり漁を手伝うエネルギッシュな性格。あとめちゃくちゃ足が速い。エネルギッシュを通り越して常に動いていたマグロのような人なので、ドラマの撮影をしていれば自転車で野次馬する始末。野次馬ついでにエキストラとして出演し、岡田准一塚本高史と同じ画面に収まり奇蹟のスリーショットを果たす。

 

 二人はたびたび言い争っていたが、なんだかんだで仲がよさそうだった。タバコを嫌がる祖母に意地になって喫煙し続ける祖父は一種の名物だった。当時5歳の孫が「タバコっておいしいの?」と聞いたとき、「いちご飴みたいなものだよ」って笑いながら言った顔が忘れられない。祖父が5歳児に伝わるようにタバコのおいしさを表すと、いちご飴になるのか。アメスピだけに?

 

 私が物心つき始めたタイミングで祖父は職人を引退していたが、手は大きく骨ばっており、腰は信じられないくらい曲がっていた。もともと身長が高く顔立ちも濃かったから手は生まれつきかもしれないが。祖母はそんなに背が高くないため、丸まった背中の祖父と並んで歩くとちょうどよかった。

 

 孫が大学に行くと言ったとき、祖父は孫の進学先に全くピンと来ていなさそうだったが喜んでくれた。一方、祖母はなぜ女である孫が大学に進学する必要があるのか、ものすごく怪訝な顔をしつつも喜んでくれた。祖母こそ家父長制の犠牲者のようにも見えるが、幸せそうな2人の背中を思い出すとそんなことはこの二人にはノイズであるとなかったことにしたくなる。

 

 祖父は亡くなるまで2か月ほど入院していたが、祖母は毎日欠かすことなく通い詰めていた。祖父が亡くなったとき、祖母は一瞬泣いた後に祖父と旅行に行った話や、息子の高校から素行不良で呼び出されて夫婦2人で行った話をにこにこ話していた。祖父のことが心底羨ましくなった。絶対に戦時中・戦後から祖母との結婚までは話したがらなかったが、結婚して、息子が生まれて、孫が生まれて、それまでの苦労を超える幸せが祖父の晩年だったのだろう。

 

 祖母はなぜか祖父の仏壇にリポビタンDを供えている。鬼なのか。