駄文生産

長続きしますように

人の呼び方

 下の名前で呼ばれるのが恥ずかしい。自分の性格と下の名前が一致しないと常日頃感じている。名字で呼ばれることが普通だと思ったきっかけは、小学2年生のとき、下の名前が同じ人が3人いたことがだったと思う。そこから名字か、名字+ちゃんでやってきた。まず名前と性格は一致させるものではないし、別にキラキラネームでもない。これは完全に思い込み。家族や親戚は名字が同じ人が多いので、自分が識別のために下の名前で呼ばれるのはわかる。いや、識別のためと番号で呼ばれたらそれはそれで嫌だ。「千と千尋の神隠し」でも、名前を思い出すのが物語のカギとなるくらいだし。

 

 そんな思い込みをほかの人にも当てはめてしまうので、人の名前の呼び方がわからない。というか名字呼びが当たり前だった。下の名前を呼ぶときは一呼吸している。高校のときまでは名字で呼ぶことが一般的だったような気がするし、下の名前で呼ばれている子は下の名前で呼んだ。そこで変に名字で呼んでも微妙になるから。ALTの先生(頭痛が痛い現象になっている……)は下の名前で呼ぶので、少し恥ずかしかった。しかし大学生活に突入すると、下の名前で呼ばれることや名前で呼ぶことが増えた。人の名前を呼ぶときにいちいち一呼吸していたら疲れるだろ。最近になってやっと一呼吸が0.3呼吸くらいになった。

 

 なんで名字で呼び合わないんだよ!って思うけど、たぶん女性は名字が変わりやすいからである。最悪。名字をそろえなければならないってキモすぎる。家制度の名残を残すなよ。もしかしたら名字呼びにこだわる私も、家制度に囚われているのかもしてない。それはそれとして、名前で呼ぶことの耐久性をつけたい。英語圏は名前呼びでやっているのでそれで納得させたい。